「雪国」というカクテル

 昨年夏、米沢市内の老舗バー「うるわし」で飲んでいた際に話題になった「雪国」という名のカクテル。山形県の酒田市のとあるバーで考案?されたもので、その作り手は何と90歳を超えるバーテンダーとのことだ。全日本カクテルコンクールで入賞したらしい。そして、ドキュメンタリーも製作されているとのことだった。
 まずは飲んでみて「美味しい!」の一言です。グラスの縁は塩ではなく砂糖、沈んでいるのは緑色のサクランボです。ウォッカベースで口あたりも良い。今度は酒田市の本家で試してみたいと思っていました。
 
 そしたら先日の日経新聞に記事が出ており、忘れかけていたその味が蘇ってきた次第です。
                                
2019/3/5付日本経済新聞 朝刊から

同じカクテルを作り続ければいいのだから、こんな楽なことはない。92歳の今も現役。いつの間にか日本最高齢のバーテンダーと呼ばれるようになった。 * * * 独自レシピが有名に ドキュメンタリー映画「YUKIGUNI」での筆者(C)いでは堂 ドキュメンタリー映画「YUKIGUNI」での筆者(C)いでは堂 雪国は59年、壽屋(ことぶきや)(現サントリー)が主催する全日本ホーム・カクテル・コンクールでグランプリを受賞する。応募作品約2万4千の中から選ばれ、一躍全国区になったのだから、それはうれしかった。 プロのバーテンダーなら大概オリジナルのレシピを持っている。でもなかなか全国には普及しない。なぜ雪国がスタンダードになったか。答えは簡単。どこにでもある材料だからだ。ウオッカにホワイトキュラソー、ライムシロップ。この3つは当時バーはもちろん居酒屋にもあった。 グラスの外縁をレモン汁でぬらし、ミキサーにかけたふわふわの上白糖をつける。緑のミントチェリーをグラスの底に沈めて完成。私は実は下戸だ。ちょっぴりなめた記憶をもとに、想像を膨らませてレシピを作る。 自宅を改装して「ケルン」を開いたのは55年。仙台市の街中を歩き回って見つけたキャバレーで、52年から働き始めたのがバーテンダー人生の始まりだ。家族を養うためのやむにやまれぬ選択だった。 * * * 戦争で2度の命拾い 筆者が手掛けたオリジナルカクテル「雪国」(C)いでは堂 筆者が手掛けたオリジナルカクテル「雪国」(C)いでは堂 酒田の高校を43年に卒業し、横浜市鶴見区にあった東京芝浦電気(現東芝)の軍需工場で働いた。終戦の45年には2度も命拾いした。最初は3月10日の東京大空襲。下宿先に爆弾が落ちた。その日は仕事を終えて家に帰っていたはずだったのに、上司から宿直を代わってくれと頼まれ、工場にいて助かったのだ。 2度目は終戦直後。8月15日に酒田で玉音放送を聞いたのだが、多くの人と同じように戦争が終わったとはわからず、直後に市職員から赤紙を渡される。やはり召集令状を受け取った友人と死を覚悟し、最後の宴(うたげ)だと飲めない酒を酌み交わした。翌日一転して、同じ職員から召集解除を言い渡された。不思議な力で生かされている。そう思わずにいられなかった。 戦後、娯楽の乏しい酒田で若者の盛り場を作ろうと、49年にダンス教室を開く。体を動かすのが得意で音感にも自信があった。東京・銀座でジルバやワルツを習った成果か、教室は盛況だった。 * * * 苦労をかけた妻 「きれいな子がいるな」。ダンスを習いに来ていた3歳下の妻キミ子と出会ったのはこのころ。結婚し、2人で教室を切り盛りするが、妻はダンスが苦手。モダンはできてもラテンができない。別の教室や娯楽施設が増えて経営が悪化、教室をたたむことになる。 妻には本当につらい思いをさせてしまった。裁縫が得意で、仙台のキャバレーで働いていたときはホステスのドレスを縫う内職で生活を支えてくれた。寝食も忘れてミシンを踏み続け、とうとう栄養失調で倒れてしまう。自分は夫として失格だと思った。今思い出しても悔しくて情けない。 かつては妻のせいでダンサーを諦めざるを得なかった、と責めたこともある。でも、今の天職に出合ったのは彼女のおかげだ。夫婦二人三脚でバーをやり繰りしてきたが、3年前一足先に天国に旅立った。 振り返れば、私の歩みは戦後の娯楽文化とも重なっている。その半生を山形出身の渡辺智史監督がドキュメンタリー映画「YUKIGUNI」にしてくれた。全国各地で順次公開中だ。地元の歴史やきれいな風景も出てくる。酒田に行ってみたいと思う人が増え、街がにぎわえばうれしい。 よくお客さんから「雪国は川端康成の小説からですか」と尋ねられるが、そうではない。バーの壁に誰かが書いた一節「人里離れた雪国の宿」が由来である。 (いやま・けいいち=バーテンダー)

ウオッカやホワイトキュラソーなどをシェークし、グラスの縁に雪に見立てた白砂糖をまぶす。1958年に私が考案したオリジナルカクテル「雪国」。今夜もこの一杯を求めて、山形県酒田市の喫茶店・バー「ケルン」を全国のお客さんが訪ねてくれる。毎晩シェーカーを振りながら、バーテンダーは我が天職だと幸せをかみしめている。 店に来たお客さんの8割は、まず雪国を注文する。